153:「フィニッシュさせる」

B!

こんにちは、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は日常に感じる「時間」についていろいろ考えてみたことのまとめで

す。

 

まとめているTo Doリストが見る間に長くなり、53項目もある。

完済したい分割払いやキツくて入らない喪服の新調、庭の手入れ、ペンキ

塗り、断捨離、遺言ノート、サイクリングの計画などなど

 

このリストどこまで伸びるんだろう、自問自答。

やらなくても良いからかもしれない。

 

いや〜でもやらなければ、あるいはやりたい事があるから書いたんだし。。

 

TO DOリストは現役の時からしてますが53項目までは増えなかった。

違いがあるとしたらサイクリングのように、楽しみたいことも書いてあ

るから増えている気もします。

 

こうやってリストを眺めていると、書き出す楽しみは感じます

「まだやる事があった」と発見ですね。

 

できればさっさとフィニッシュさせたい

全てやり遂げればまた新たにリストは湧いてくるのではないか?

そうやって回転させると楽しいだろうな〜とリストを眺めながら思う

のであった。

 

 

 

Contents

時間がないのにあるように振る舞っている

身内の死を経験して、「死ぬ」ということへの興味は高く、いろんな本を読

むようにしている。

 

わかるはずもない「死んだらどうなるのか?」という問いに何かしらの理由

を見つけて納得に近づきたい希望があるからです。

 

そんな中でイエール大教授の「死とはなにか」(700ページもあって読みき

れてない)に興味を引くことが書いてありました。

 

「もし神様がいくつかの飴玉をくれたらどう感じるか?まずはもらった事に

感謝するだろう」というくだりです。

 

亡くなった人が”他人と比べて”早世だったとか、なぜそんなに短い人生だっ

たのかと繰り返す自問に対して腑に落ちる言葉をずっと探してました。

 

「もし10年ごとに神様が寿命として飴玉をくれるのならば〜」という設問

への著者なりの推論です。

そうなったら神様は気前よく飴玉をくれるかもしれないし、ある日突然あげ

る分はもうないと言うかもしれない。そうなった場合、あなたはどう感じる

か?と読者に問いかけます。

 

「もう神様が飴玉をくれないとしても、それを嘆く前に今までいただいた分

に感謝する気持ちがあるのではないか?」

 

永遠の命が当たり前なのあれば、もうくれない事がわかると人は怒るかもし

れませんが、そこまでして人は永遠に生きたいものだろうか?

その前に感謝があるのではないか?と問うわけです。

 

次から次に飴玉を願うことが果たして正しいことなのだろうか?と

永遠に生きることは間違った願いなのか?と哲学的な疑問を投げかける文脈

なのですが、違う意味で私には刺さりました。

 

「今日の命に感謝しよう」です。ありきたりですが、飴玉の例えでスッと理

解が進みました。

 

亡くした親族の寿命を(誰かと比べて)多寡を残念がるよりも、出会えた

事や過ごせたことに感謝をするのが先だと思えたのです。

また自分ごととしても「後何年生きれれば十分なのか?」と考えるよりも

今に感謝するということですね。

 

歩いて棺桶に入ろう!というのも立派な目標ですが、そういうTO DOの前

にまずいただいてる飴玉に感謝して1日を過ごそう(朝の仏壇への挨拶がち

ょうどいい)と思える様になりました。

 

そう考えると、次の飴玉をいただけなくても恨みっこなしです。

 

頭の中が一周すると、やらなければいけない「TO DOリスト」から(いた

だいた時間のあるうちに)「楽しく取り組むリスト」へと題名を変更。

 

そうやって気分を変えて、今年後半でどれだけリストが減るか試してみよう。

 

身体は錆びつくが病気とはギリ違う?

年明けから急に始まった右脚の痛みと痺れは、検索すると立派な病名が出て

くる。脊柱管狭窄症とか呼ぶらしい。

 

なんだかんだとストレッチを繰り返し、運動強度を増したけど何かしら不具

合感は残る。これから先、このモヤモヤした感じの脚と付き合うのかと暗然

とした気になっていたところ、用事で薬局に行きふと棚を見ると、「足の痺

れ」の文字が飛び込んできた。

 

そういえば「足の痺れにグルコサミン」なんてよく聞くコマーシャルだ。

それを買って2日ほどで症状は治った。宣伝には一生治らない、飲むのやめ

たら再発するとかいろいろ解説がついている。

 

まあ、効いたんだから感謝しつつ、これが錆びつくと言うことかと納得した。

そういえば、思い出すことがある。

 

確か、50歳過ぎたあたりで、猛烈に肩が痛くなった。痛くて夜寝れなくなっ

た。当時は子育て終盤とキャリアの行き詰まりでストレスMAXだったと思う。

 

この時に、ジムを探し出し通う事にした記憶があります。

子供の大学進学で家計を切り詰めていたけど、これだけ痛いとどうにもならな

いと思い通い始めました。

 

この時はジムで症状軽くなったので、そこから現在までジムは継続しています。

 

なので、振り返ると、現役時代に肩そして定年前後で脚が錆びたというところ

でしょう。

 

肩の時が50前後だったので、今回が65前後として飴玉はいただきつつも錆おと

しは別にしなければいけない。やる事リストが増えるはずだ。

 

完璧な計画より、最初の一歩に価値がある

この言葉はジョン・キムさんの「心に従う勇者になれ」の中で見つけました。

人がなかなか行動に起こせない理由に一つは「計画の奴隷になるからだ」と

言っています。

 

まずは中途半端を目指せ

中途半端とはと言う意味は、まずは一歩踏み出せと言う意味だそうです。

 

もし100m走をしてるなら、完璧なスタートにこだわるかもしれないが、人生

における目標は大概マラソンやジョギングだ。ならばまず走り出してその後で

いろいろ修正すれば良い。なるほどなるほど。。

 

この方は、インスタグタムで見つけた方です。父親のやるべき事、のようなテー

マでメッセージを書かれてて目に入りました。

 

何冊か本を出されているので、これも読破したいです。

またリストに入れる。

 

今月はワールド時代の同期がツーリングで九州まで来る。

同じ年月を生きてるのでためになる話が聞けると思うのが楽しみです。

 

ではまた次回

 

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